【洛陽・体験記1】世界遺産・龍門石窟へ|仏たちと1500年の歴史にふれた旅

高鉄で洛陽へ。歴史の旅、スタート!

今回は高鉄(中国版新幹線)で、北京から河南省洛陽へ行きました。電車に揺られること3時間。意外とあっという間に到着。

今回で高鉄を利用するのは3回目ですが、駅が街から近く、乗車中にネットが使えるのがとても便利。

今回の目的は、世界遺産「龍門石窟」を訪れることだったので、北京西駅から洛陽龍門駅で下車しました。

洛陽という街の魅力|中国古代史の心臓にふれる

洛陽は、中国の長い歴史を語る上で外せない場所で、歴史を学ぶ身として、ずっと訪れてみたかった場所の一つでした。

中国の王朝は、約4000年前の「夏」から始まったとされていますが、なんと洛陽にはその夏王朝の遺跡と考えられている「二里頭遺跡」も存在しています。その後も殷・周・東漢・魏・西晋・隋・唐など、数多くの王朝がこの地に都を築いてきました。

そんな歴史的な場所なので、行きたい名所が多すぎる…!本当は全て回りたいところでしたが、今回は週末の2泊3日の弾丸旅。時間の制限もあり、厳選して「龍門石窟・白馬寺・隋唐洛陽城・洛陽博物館」へ行くことにしました。

龍門石窟へ|移動はタクシーが便利

洛陽に到着した初日は夜だったため、まずはホテルへ直行し、2日目から本格的に観光スタートしました。

まず最初に向かったのは、今回の旅の本命「龍門石窟」へ。

洛陽では駅や観光地、街のあちこちにタクシーが待機していて、スマホアプリを使わなくても比較的すぐに利用することができました。

もちろん、アプリを利用しても、大体5分以内に来てくれるので、とても便利。

龍門石窟の入り口まで|歩くだけでも楽しい

龍門石窟に着くと、まずはチケット売り場へ。そこから検査口(石窟エリアの入口)までは結構な距離がありました。

ですが、その道中は、城下町のような趣ある街並みを楽しみながら歩くことができて、途中にはお土産屋さんや食べ歩きができる出店も多く並んでいて、歩くだけでも楽しい時間を過ごすことができました。

私が訪れたのは3月中旬で、寒すぎず暑すぎない、非常に快適な気候でした。たくさん歩いても体力が奪われることなく、まさに観光にぴったりの季節でした。

3月後半~4月後半くらいまでは、龍門石窟を訪れるには、ベストシーズンだと思います。

西山石窟から見学スタート|想像以上に“やわらかい”仏の表情

龍門石窟は、黄河の支流・伊河の両岸にあり、まずは西山石窟からの見学スタートです。

最初に出会ったのは、北魏時代に造営された仏像達(濱陽洞)。

北魏時代の仏像は「細くて厳しい表情」と事前に調べていましたが、実際に見てみると、確かに唐代の盧舎那仏に比べれば細身ではあるものの、表情にはどこかやさしさがあり、微笑んでいるようにも感じられました。

歩みを進めると、大小さまざまな龕や仏像が次々に現れ、その数とスケールに圧倒されます。

よく見ると、仏像の顔が削られているものも多く、文化大革命や19~20世紀の動乱期に破壊されたり、国外に持ち出された痕跡なのだそうです。

こんな状態にされてしまった仏像たちを見ると、仏像や、仏像を造った人々、祈りを捧げた人々の想いまでもが傷つけられたような気がして、胸が痛かったです。

ですが同時に、そんな中でも残されてきた仏像の貴重さがより際立ち、この場所に今も立っていること自体が奇跡のように思えて、その価値を改めて実感しました。

万仏洞、そして盧舎那仏との出会い

川沿いに進んでいくと、「万仏洞」に到着。

その名の通り、仏像が無数に刻まれた空間です。

京都の三十三間堂の千手観音のように、ずらりと並んでいるのかと思いきや、中型の仏像を囲むようにして、壁一面に小さな仏像がびっしりと刻まれていました。その数に圧倒されると同時に、ひとつひとつの仏像たちから放たれる静かで力強い存在感が重なり合って、空間全体を包み込んでいるかのような、不思議な力強さを感じました。

そして、ついに龍門石窟最大の仏像「盧舎那仏」が祀られる奉先寺へ。

長い階段を上がると、そこには、盧舎那仏を中心に、脇侍菩薩・天王・金剛力士が並び立ち、荘厳な雰囲気と存在感に圧倒され、思わず息をのみました。

この盧舎那仏は、中国で唯一の女皇帝「武則天」が自らを投影して造られたとも言われています。

今から約1300年前、今よりもずっと男社会だったはずの時代に、前例のない女性皇帝として大国を統治するなかで、彼女には多くの悩みや葛藤があったはず。

それでも、自らの存在を“仏のように“位置づけ、目に見えない力=仏の力と結びつけることで政治を動かそうとした。

そのために、これほどまでに壮大な仏像を造らせたのかと思うと、彼女の中にあった女性としての強さ、孤独、そして鋭い知性が浮かび上がってくるようでした。

盧舎那仏の穏やかで堂々とした表情と存在感には、彼女の決意と信念が、長い時を超えて、この仏に静かに息づいているように感じられました。

中国石刻芸術の最高峰とも称されるこの盧舎那仏は、その巨大さだけでなく、表情や身なり、台座や後光に至るまで、細部にまでこだわって丁寧に造られていて、その美しさに思わず時を忘れてしまいます。

なんとなく、どこから見ても目が合っているような不思議な感覚があり、この長い歴史の中で、どれほど多くの人が、私と同じようにそのまなざしに心を奪われたでしょうか。

対岸へ渡って香山寺と白園へ

西山石窟の終点まで歩くと、橋を渡って対岸に行くことができます。

今回は時間の関係で東山石窟は飛ばし、香山寺と白園(白居易の墓)へ。

対岸から眺める盧舎那仏もまた迫力があり、1300年もの間、この地で参拝に訪れる人々を見守り続け、伊河の流れを眺めていたのかと思うと、感慨深さが込み上げてきました。

香山寺は山の中腹にあり、その敷地内には、蒋介石と妻・宋美齢が滞在したとされる別荘もあります。

中へ入ると、外に広がる中国の伝統的な建築物とは対照的に、意外にも西洋風の家具や装飾がされていて、当時すでに中国の内陸部にも西洋文化がこれほどまでに浸透していたのかと驚かされました。

戦乱の中、蒋介石がここで50歳の誕生日を迎えたという記録があり、滞在はわずか36日だったそうですが、この空間に立っていると、その数日間が、彼にとってどれほど貴重な“静けさ”だったのかに、思わず思いを馳せてしまいました。

白園にて|白居易の詩にふれた瞬間

白園は、唐代を代表する詩人「白居易」のお墓。

日本でも有名な詩人で、彼は晩年を洛陽で過ごしたといいます。

私も授業で習った、好きな一句があります。

野火焼不尽、春風吹又生(野火焼けど尽きず、春風吹いてまた生ず)

再生・希望・不屈を表現したこの一句は、挫けそうなときに力をくれる詩で、白園にある石碑にもその詩が刻まれているのを見つけて、思わず立ち止まって見入ってしまいました。

春の気配を感じる花のつぼみが咲き始めていて、春風が心地よく、白居易もきっとこの風に吹かれながら、同じように伊河を眺めて、詩を考えていたかもしれません。

旅の締めくくり|麺と洛陽ビールでほっとひと息

白園を過ぎると、龍門石窟の出口です。

朝から歩き通して、東山石窟を省略しても3時間以上滞在しており、見所も沢山あって、かなり充実したひとときでした。

ちょうどお昼時でお腹もペコペコだったので、出口近くの麺屋さんへ。

洛陽の地ビールで乾杯し、混ぜ麺(下に肉味噌が隠れている)をいただいたのですが、これがピリ辛で意外とおいしくて、旅の余韻をより濃くしてくれました!

この日は、旅のメインだった世界遺産・龍門石窟を回り、白馬寺・隋唐洛陽城へ行きました。他の観光地については、次回の記事でご紹介します。

歴史と文化の宝庫・洛陽を訪れるなら、まずは龍門石窟から。その圧倒的な“石窟が語る物語”を、ぜひ体感してみてください。

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